チェック専用=麻生隆司
入 力 者 =秋山誠輝

昭和42年4月17日  朝の御理解



  神様は、え~、私共お道の信奉者の事を、とりわけ、「信者氏子」という風にお呼びかけになっておられます、「総氏子」と言えば、まあ世界中の、お~、氏子のことでございましょうが、その中にとりわけ「信者氏子」とお呼びかけになっておられるということ、ね、とりわけ金光大神の御取り次ぎを頂かしてもろうて、日夜おかげを蒙っていく氏子の上のことに「信者氏子」と、お~、氏子の上に信者ということをつけておいでおられますように、私は、とりわけ、合楽の信者、信者氏子の上に、とりわけ私は合楽の、に御縁を頂いておる信者氏子の上に、特別のお働きを受けておるという自覚にめいめいが立たなければならないと思うんです、それは、なるほど金光大神のお取り次ぎを頂いて、頂く信者に、あれやらこれやらと、お~、同、不同があるというわけでわございますまい、ね、けれども、その、とりわけです、合楽の、お~、御広前と言うか、合楽の、お~、私を中心に私共一般の上に、とりわけ神様が特別の御神意をたり給うと言うか、特別のお働きかけを下さっておるということをです、蒙りますと、もう椛目の、え~合楽の者んだけにしかこれを頂けんのかといったような響きがあるかもしれませんけれども、そうではないですけれど、私共の自覚としてですね、とりわけ目をかけて頂いておると、とりわけ特別のだから御期待もあるんだという私は思いを、持たなければならんその自覚に立たなければならんと思う。
  昨日あのように盛大な、あ~、春の御大祭に合わせて、え~、落成の式典がまあここでひろげられ、それもにぎやかに、厳粛に、本当にまんど、お~この、堂に溢れるばかりの、お~、ご信者が集まられまして、あれは昨日なんかはとりわけその、今度は、えぇ他の教会の方達がお参りになるだろうという予想があったんですけれども、そこには非常に立ち触りがありまして、先生方もみえませんでしたし、信者とてもほんのいっちょの方がみえただけでしたけれど、言うてみるとまあ椛目の、お~、合楽の信者ばかりが中心であったということになるわけですけれども、合楽のやはり盛大なお祭りになっておったということ、同時に、もう考えれば考えるほど、万事万端という特別なお都合お繰り合わせを頂いておったということ、ね、とりわけあのお天気の事の上なんかには昨日、え~、竹内先生が、あの話しておられたそうでございますけれども、昨日というお天気はもうどっ、どこの誰が天気予報の上から言うてもです、昨日はお天気になる日じゃなかった、昨日ばかりは、本当に天地の親神様の一つの特別の御ヒレイを合楽は受けておるということの有り難さということを、まあ話しておられたということでございますがです、ね、昨日、ああこうした朝の御祈念を頂く時までは、まぁだ、それこそジャァジャァ降りでございました、それがいよいよ、お~皆さんも御用にかかられ、いよいよ御祭典という時にはああいうようなお天気の上にもおかげを頂いて、どうしてあの外側の準備が万端の上に出来るだろうかと、私は、あ~、え~、外に出てから、その、一つの飾り付けなんかの、その出来ませんでしたから、御用の皆さんが「はぁ本当に見事でした」と、「ここの道を通る人達が「はぁ何事じゃろうか、何があっておるじゃろうか」と言うてその、やはり車を止めて、その見ていくぐらいにありました」と言うておられましたがです、そのような準備も、ああしてお天気のおかげを頂かして頂いて特別のあれはおかげを受けておったということ、ね、ああいうような事からでもです、とりわけ、私は合楽の信奉者の上に神様の働きがあっておるんだという自覚に立たなければいけないと私は思う、ね、そういう特別な神様のお働き、私はこんな風に申しますとですね、非常に響きが悪いんですね、昨日私、ある教会の総代さんから言われたんですよ、「合楽の、合楽にだけそげん、こげん金光様の働きがあるわけなか」と、ね、それはどこだってあるんです、あるけれども、とりわけ特別というものを私は感ずるということは、私であり皆さんでなからなければならないと思うのです、それを言えばそんな風にやっぱ響くんですよ、ね、昨日も確かに合楽は特別の神様の、お~、目に立てられておる御広前である、ただ事ではないんだと、(心して?)天地の親神様が金光大神のお取り次ぎを通して、ここに現れようとなさっておられるその働きをです、めいめいが感じるという、そういう自覚に立つということ、ね、そこんところをお互いが自覚さして頂きましたらです、ね、言わばその、神様の特別な働きに対して、ならどう応え奉るかという信心が今後問題になってくると思うですね、私は昨夜からそのことを早速思わして頂きまして、本当にこれだけのおかげを蒙って、これに応え奉るところの信心とはどういう信心さしてもらうたら良いだろうかと、そして結論をいたしますとですね、やっぱり結局私がいよいよ立派におかげを蒙って行く以外にはないということなんですよ、ね、大祭、大祭、落成式、落成式と、その落成式を頂かして頂くために、今まで出けなかった信心もさしてもらおうと、今まで改まれなかったこと、されなかったとこに改まろうとそれに一生懸命にもならせて頂いて、ね、けれどもそっ、やっぱりそのところをです、その線を、やはりいよいよ強化なものにしていくことによって、神様のそうした働きにです、お応え申し上げる以外にはないということに結論されるのでございます、ね、ですから私だけが、その神様の特別な働きに、を受けておるというわけではございません、ここに御縁を頂いておる一人一人の上にそれが同じ事なのでございますから、そういう自覚に立って、そういう例えば、ことにその、神様の、お~、思いに、応え奉ろうという人の上にいよいよおかげが、いわゆる尽きぬおかげが頂けれる、約束されるという風に思うのです、ね。
  昨日の事をもう一遍、心の中に思い抱かせて頂いて、「特別のお働きを受けておったなぁ~」ということ、もう、ん、指折り数えて、あの事もこの事もと言うのならもう限りが無いほどに、「ほんなことちょいと不思議なこっちゃあるな」と言うようなです、働きというものを感じました、ね、ですから、あの、そのところに私共が思いをいたしまして、いよいよその神様の思いに応え奉らしてもらおうと、ね、どうならその事に対して応え奉るということは、ね、どうお礼を申さして頂こうか、どう神様の心に沿い奉る信心さしてもらおうかということに結論さして頂きますとです、もう結局は私がもういよいよまた、改まりに精進する以外にはない、いよいよ私共が、そういう、お、ことに、おかげを蒙っていく以外にはないということを思いますがです、ね、皆さんの一人一人のそのところの、自覚に立っての信心が今後進められますように、そして天地の親神様のお心に、金光大神のお働き、お取り次ぎのお働きに対し奉ってです、お応え申していこうという願いに燃えていかなければならんと思いますね。                                       どうぞ。